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2010年7月19日 (月)

鳥と鶴?日本ウイスキーの誕生物語・その1

ここに、テイスティングをしている、

2人の写真があります。

晩年のサントリーの創業者鳥井信治郎氏

晩年のニッカの創業者である竹鶴政孝氏

日本最初のウイスキーは、

この2人の情熱が作り上げた

といっても過言ではありません

(以下失礼とは思いますが、敬称略)
さて、サントリーの創始者である鳥井は、

13歳の時に薬問屋で商売を学ぶために、

奉公ににでました。

そこでの知識を生かして、

彼はワインを創りたいと

考え、20歳で独立をしました。

鳥井商店です。

もちろん、資金も設備もありません。

彼は、独習したワインの

製造ノウハウに基づいて

しっかりとした製品を作ってくれる

作り酒屋を探しました。

結果、鳥井の要望通りに作って

くれることになったのが、

近江商人の豪商、阿部喜兵衛が創立した

「摂津酒造」でした。

そこで働いていた技術者が、

広島の造り酒屋の息子、

竹鶴政孝でした。

彼は、鳥井より15歳年下の若者。

洋酒づくりに惚れ込んでしまい、

実家の作り酒屋に戻ることなく、

洋酒造りをしていたそうです。

そんな竹鶴が作った、

「赤玉ポートワイン」が

世に出ることになりました。

その時鳥井は、28歳でした。

価格が高かった割には好評で、味も良く

売り上げがどんどん伸びていった。

もちろん、広告を重視した、鳥井の販売戦略の

うまさも、見逃せないと思います。

日本初の、ヌード(っぽい)ポスターや

落書きのような新聞広告。
(今見ても、インパクトありですね)

ワインを食前に飲む、薬用酒として

のポジショニング。など。


鳥井は、素晴らしいマーケティングマンでした。

この頃になってからようやく、鳥井と竹鶴の二人は

本格的な国産ウイスキーを造ろうと

意気投合したのでは

ないかと思います。

このときには、まだ2人で

という話ではなかったようです。

そして、2人は

別々に夢に向かって動き出しました

摂津酒造の社員である竹鶴は、同社の阿部社長を説得。

社長も、ほんものの国産ウイスキーを。

という思いでいたようです。

そして、竹鶴は、スコッチ・ウイスキーの本場

イギリスへ実務留学をしました。

竹鶴24歳。

いよいよ、国産ウイスキー誕生の話ですが、

長くなってしまいそうなので、次回に譲ります。

お楽しみに。ということで。

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